京の彩り・染と織

近代の染織①-京都織物株式会社

2018年01月

 京都で近代的な織物業を牽引したのは、「織殿」の払い下げを受けて設立された京都織物株式会社(1887年設立、京都市左京区吉田下阿達町)でした。この会社は、田中源太郎・浜岡光哲・内貴甚三郎・渋沢栄一など東西有力者の発起のもと、撚糸・染色・製織を一貫して行う体制で操業を開始しました。設立を積極的に推進した京都府知事の北垣国道は、「国家産業のため模範的大工場を興し、以て斯業の発展」(『京都織物株式会社五十年史』1947年)を図りたいと考えていました。
 営業目的については、「京都織物会社組織要項」に以下のように記されています。
  第一條 本社ハ純然タル西式ノ機械及製法ヲ用ヒ汽力ト人力トノ両種ニ頼リテ純絹織物及絹綿交織物ヲ製スルヲ以テ目的トス
  第二条 本社製品ノ販路ハ内地ヲ以テ初トシ漸次海外ニ輸出ヲ為スヘシ
 西洋式の織機を用いて絹織物・絹綿交織物を製作し、国内向けはもちろん、輸出できる製品作りを目指していました。
 開業当初、国内需要として洋風建築の装飾織物や女性の洋服地を想定していましたが、建築や服装の欧化は予想したようには進まず、業績は振るいませんでした。しかし、その後営業方針を変更し、中国向けの繻子織物、西洋向けのクレープデシンやジョーゼットクレープなどの新製品を開発し、輸出が増大します。それに合わせて生産体制も拡大し、開業時55台だった力織機は、1908(明治41)年に685台、1936(昭和11)年に1225台と飛躍的に増加しました。
 京都織物会社の製品は、1900年のパリ、1904年のセントルイスでの万国博覧会で名誉大賞、1903年の第五回内国勧業博覧会で名誉金牌など国内外の博覧会で多数受賞しており、高く評価されていたことがわかります。1940年に出版された『大日本織物二千六百年史』(日本織物新聞社)では、同社の「燦然たる歴史と業容」が称賛されています。
 近代の京都には、力織機を用いた近代的な織物業と手工芸的な織物業が存在していました。本年のコラムは、生産技術が大きく転換した近代における京都の染織業の諸相をたどります。

京都織物会社(『京都府写真帖』1908年、国立国会図書館所蔵) (002)

京都織物株式会社
(『京都府写真帖』1908年、国立国会図書館所蔵)

京都華頂大学教授 馬場まみ

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