京の彩り・染と織

幕末・維新期の染織⑤-第一回京都博覧会

2017年09月

 19世紀、西洋では産業革命の成果を展示する大規模な万国博覧会が数多く開催され、明治新政府も殖産興業による近代化を目指して博覧会活動に積極的に取り組んでいきます。

 東京遷都による急速な衰退への危機感を抱いた京都は、近代都市として発展するために様々な事業を行い、博覧会開催にも力を入れました。1872(明治5)年に新政府(文部省)が東京湯島聖堂を会場に実施した博覧会より早く、京都府は1871(明治4)年に西本願寺を会場に日本で最初の博覧会を開きました。翌1872年には京都博覧会社が設立され、「一つには産業振興のため、また一つには今日でいふ観光都市として生きんがため」(『京都博覧協会史略』1937年)に博覧会を開催していきます。

 京都博覧会社による第一回京都博覧会は、1872年に西本願寺、建仁寺、知恩院を会場として開催されました。イギリスの『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』の通信員ワーグマンは、この博覧会の様子を以下のように書いています。

お金を払って、英語と日本語で印刷した入場券を受け取ると、私は中にはいり、鎧のある第1陳列室を写生した。私が送るスケッチはさながら日本の歴史のようなものである。鎧の後方にある白い幕には、つい最近の革命まで日本の事実上の支配者であり、ヨーロッパではタイクンとして知られていた徳川家の家紋がついている。(『描かれた幕末明治』雄松堂出版、1986年)

 スケッチに描かれた展示物は鎧兜と雑多な品々で、明治初期の博覧会は産業振興という目標からはほど遠い状況であったことがわかります。染織品は知恩院に展示され、その内容は「呉服物類として生糸 染糸 西陣織物 絹布類 麻 麻布類 綿類 綿布類」(『京都博覧会沿革史』1903年)であったと記されています。

 京都は1926(大正15)年までほぼ毎年50回以上もの博覧会を開催しており、産業化への強い意欲が感じられます。長い歴史のなかで多彩な染織文化を培ってきた京都は、近代においても西洋技術の摂取やデザイン開発に力を注ぎ、高級絹織物の生産地として発展し続けようとしました。

 

 

 

京都華頂大学教授 馬場まみ

一覧へ戻る