京の彩り・染と織

幕末・維新期の染織④-近代女性の衣装と織物

2017年07月

 明治初期、西洋文化が怒涛のように流れ込み、女性の装いにも和洋が入り混じるようになります。1887(明治20)年の「踏舞会 上野桜花観遊ノ図」(メトロポリタン美術館所蔵)には、洋服や振袖を着て西洋楽器を手にする女性、さらに褂(うちき)と袴を着用している女性が描かれています。この装いは袿袴(けいこ)と呼ばれ、政府高官の妻たちの服装でした。1884(明治17)年に出された宮内省内達の「婦人服制」には、袿袴の「礼服」について以下のように記されています。

  一褂  冬地唐織 色目地紋勝手
       夏地紗二重織 色目地紋勝手
  一袴  地精好 色緋
  一服  冬地練絹
       夏地晒布

「袴」は「精好(せいごう)」という固く緻密な織物で、「褂」は「唐織」を用いた豪華なものでした。

 このような袿袴姿の女性は、西洋人の目にどのように映ったのでしょう。1885(明治18)年に来日したフランス人のピエール・ロチは、日本での体験を『秋の日本』と題して出版しました。そこには「観菊御宴」で見た袿袴について、「風変りの精髄ともいうべき衣装」であるが、「絹物は、すばらしいものである。それは東洋の極上品で、さまざまな色合いと光とをもっている」と記されています。衣装の評判はよくありませんが、織物は素晴らしいと称賛しています。当時、高級絹織物の多くは京都の西陣で織られており、西洋人からも高く評価されていました。

 明治維新以降、京都にも近代化の波が押し寄せました。染織業界も、新たな需要に応じた製品の開発、機械の導入や新しいデザイン展開など時代の流れにあわせた変革を迫られていきます。

舞踏会 上野桜花観遊ノ図

「踏舞会 上野桜花観遊ノ図」(メトロポリタン美術館所蔵)

京都華頂大学教授 馬場まみ

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