京の彩り・染と織

幕末・維新期の染織②-婚礼衣装

2017年04月

 江戸時代に経済力をつけた町人たちは、婚礼儀式も華やかに行うようになりました。江戸時代中期に江島其磧(えじまきせき)が著した浮世草子『世間娘気質』(1717年)には、京都の呉服所の惣領娘の嫁入りのこしらえについて、「小袖は手の物とて工手間のかゝりし素縫織紋地なし鹿子の美をつくし」と、刺繍や織文様、鹿の子で手間をかけて装飾した小袖と書かれていています。
 幕末期にも、輿入れのために多くの衣装が製作されました。京都でおよそ30人の使用人を使っていた織元の娘が1852年に嫁入りした時の記録によると、558点の嫁入り支度のうち衣類は200点だったといいます*。そのなかで小袖および袷が35点、帷子および単が30点、帯が23点で、衣類に使用されている生地は、縮緬、綸子、繻子、緞子、羽二重、綾などの高級絹織物でした。裕福な町人が輿入れで持参する小袖類は、大変贅沢なものだったのです。
 贅を尽くした仕度で婚礼に臨む女性たちは、「小袖はじめは白無垢なり。後に紅の小袖あるひは五色金銀にて色どりたる小袖と着かゆる也」(『新増女諸礼綾錦』1841年)と、最初は白無垢、色直しに豪華で色彩豊かな小袖を着用しました。そして、色直しの小袖は「舅姑めより出すもの也」と書かれていて、相手方が用意したようです。江戸時代後期には白無垢を着ない略式もあり、『手鑑模様節用』には「地黒、地あか、地白とかさね」着ると記されています。白小袖の上に赤、黒と重ねて着用し、それぞれの小袖に刺繍と鹿の子で松竹梅や鶴亀などの文様が描かれました。
 婚礼時に女性が白絹を着るのは、中世以来の武家の方式です。町人たちは武家の文化を取り入れながら、刺繍や鹿の子で吉祥文様を表した豪華な衣装も身にまとう婚礼の形を作りあげました。染織品が高価で財産的な価値をもっていた時代には、豪華な婚礼衣装は自らの経済力を誇示するものだったといえるでしょう。
*河村まち子「江戸時代後期の女性の衣服について(嫁入り仕度を中心として)」『風俗』
 28-3、1989年

名称未設定

『手鑑模様節用』(国立国会図書館)

京都華頂大学教授 馬場まみ

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