京の彩り・染と織

室町から桃山時代の染織⑤-更紗

2016年10月

大航海時代には、ヨーロッパの織物とともにアジアからの染織品も数多くもたらされました。インド更紗もその一つです。インドの更紗がいつ頃から日本に入ってきたのか詳細は明らかではありませんが、室町時代末頃ではないかと考えられています。イギリス東インド会社の貿易船隊司令官であったジョン・セーリスは、1613(慶長18)年に長崎に到着した時、平戸領主に更紗を献上したと記しています(『セーリス日本渡航記』)。江戸時代になっても、これらの染織品は貴重な交易品、贈答品として用いられました。

更紗は、木綿の生地に、具象的な絵柄や幾何学的な文様が色彩豊かに描かれています。インド更紗に用いられた染料は、六葉茜や藍といわれています。六葉茜は明礬で媒染すると赤に、鉄塩で媒染すると黒く発色しますので、赤く染色するところに明礬を、黒くするところに鉄塩を塗布し、六葉茜の染液に浸けて染色しました。さらに、蝋で防染して藍染めしました。

江戸時代には、外来の珍しい染物を真似て、日本でも更紗染が行われました。1667(寛文7)年刊行の『御ひいなかた』にも「さらさそめ」がみられます。また、1713(正徳3)年の『和漢三才図絵』には、「さらさ」に「華布」の字をあて「華布は西洋布(かなきん)に茜を用いて花文を染め出したものである。初め天竺・暹羅で生産された。・・・今わが国で多く染めだすものは洗えば華文が消え易いものばかりである」と書かれています。日本での更紗染の技法は明らかではありませんが、洗えば文様が消えてしまうこともあったようです。

技法的には未熟であっても、江戸時代を通して「さらさ」の名称をもつ多様な染色品が作りだされていることから、渡来した「更紗」の新奇なデザインや自由な文様表現が当時の人々にとって大変魅力的だったことがうかがえます。

スクリーンショット 2016-10-03 13.14.32『御ひいなかた』(国立国会図書館)

 

京都華頂大学教授 馬場まみ

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