京の彩り・染と織

室町から桃山時代の染織④-祇園祭の染織品

2016年07月

京都では、7月に入ると祇園祭が始まり、日々のニュースも祭の話題で彩られていきます。くじ取り式、鉾建て、鉾曳き初め、宵山、前祭・後祭山鉾巡行などの行事が次々に実施され、市中は多くの観光客であふれます。

祇園祭の山鉾は様々な染織品で飾られています。染織研究家の太田英蔵は、祇園祭は「移動する染織博物館という人もある。・・・祇園会は極めて多くの海外の優品を網羅する事も魅力である。・・・祇園会に山鉾を出した町人衆は累代染織を業とする者が多く住み、審美眼に恵まれ、繊鋭な神経の持主であった」(『太田英蔵染織史著作集下巻』文化出版局、1986)と祇園祭の装飾品の素晴らしさをたたえ、染織業が盛んであった京都の特色にふれています。

山鉾を飾る多彩な染織品の中でも、16世紀にベルギーで生産された綴織のタペストリーの見事さはよく知られています。これらの綴織は近世初頭に日本にもたらされたと推測され、函谷鉾、鯉山、鶏鉾、霰天神山、白楽天山の前掛や見送などに使用されてきました。現在、その多くは重要文化財に指定されています。

これらのタペストリーは、もともとはヨーロッパの教会や宮廷を飾るために製織されたものです。鯉山所蔵の綴織の文様は、紀元前10世紀頃のギリシャの盲目の詩人ホメロスが書いた叙事詩『イリアス』のなかの「トロイア戦争物語」を題材にしているといわれています。鯉山では、一枚のタペストリーが6枚に切断され、見送、胴掛(2枚)、前掛、水引(2枚)に使用されてきました。鯉山は、これらの綴織を江戸時代後期に入手したと伝えられています。

16世紀に繰り広げられた世界的規模の人とモノの交流、ヨーロッパの宮廷を飾るための織物が多くの人の手を経て祭の装飾品として用いられてきたことなどに思いを巡らせると、祇園祭が長い歴史のなかで伝えてきたことの広がりと深さに改めて気付かされます。

京都華頂大学教授 馬場まみ

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