京の彩り・染と織

近代の染織⑤-図案

2018年09月

 京都の染織業にとって、西洋からもたらされた合成染料で染色する技術の習得とともに、デザインの改良も大きな課題でした。
 京都の美術工芸振興のために1880(明治23)年に設立された京都美術協会の機関誌『京都美術協会雑誌』には、1901(明治34)年に「美術工芸ト図案」(106号)という記事が掲載されています。そこには、「泰西人ガ争フテ図案ヲ貪求シ、図案ヲ応用シ、以テ其美術工芸ヲ隆盛ナラシムルニ於テ、吾国モ又全一歩調ニ出ン事ヲ望ム」と、西洋に倣って日本も図案を研究し、美術工芸を盛んにすることが必要だという主張がみられます。
 この時期には、1902(明治35)年に染織図案家を中心に「図案精英会」(翌年から「京都図案会」)が設立され、同年に京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学)が創立、図案科が設置されるなど、図案改良に向けて活発な動きがみられます。
 友禅染業者の図案改良への動きは早く、1892(明治25)年に有志が「友禅図案会」を設立しました。この会が、1906(明治39)年に「友禅協会」と改称した時、会の目的を以下のように設定しています(村上文芽『近代友禅史』芸艸堂、1927年)。
   一、斯業の改正進歩を図る事。
   一、時勢に鑑み意匠図案を広く内外より募集し同業の参考に資する事。
   一、需用者の嗜好に応じ、殖産の発達を増進する事。
 友禅協会は、懸賞図案募集、図案に関する研究会や陳列会の開催などを通して図案改良に取り組みました。
 機械化によって織物が大量に生産され、合成染料による新たな染色法が開発されるなど技術が進歩し、そこに描かれる文様も変化しました。技術とデザインの両面からの変革が、京都の染織業のさらなる発展につながりました。

京都図案会2
『京都圖案會-臨時発行』芸艸堂、1914年
(国立国会図書館所蔵)

京都華頂大学教授 馬場まみ

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