京の彩り・染と織

近代の染織④-合成染料

2018年07月

 近代には力織機によって製織技術が飛躍的に進展しましたが、染色技術にも大きな転換がみられます。合成染料の導入です。京都での合成染料の本格的な研究は、染殿(舎密局内に1875年に設置)で始まりました。当時輸入されていた合成染料は、鮮明な色と廉価であることが喜ばれましたが、知識や技術がないため、国内で染めると著しい色落ちや退色が生じていました。染殿では、ウィーン万国博覧会(1873年)を視察し、欧州各地で染色技術を学んだ中村喜一郎を招いて技術伝習も行いました。
 明治政府は、染色産業を育成するためには、大規模な模範工場を設立して技術を高めなければならないと考えていました。農商務省が編纂した『興業意見』(1884年)には、「京都ニ一大染工場ヲ設置シ独、仏諸国等ニ於テ実地研究シタルモノヲシテ其業ニ従事セシメ以テ府下染工ヲ薫陶スルハ改良上最モ有効ノ良策ト信ス」(『京都府百年の資料』)と書かれ、京都に大規模な染工場を建設する必要性を説いています。こうした流れもあり、京都府の援助を受けて、西洋から帰国した技術者を招いて染色技術を伝習する京都染工講習所が設立(1886年)されました。
 合成染料を用いることで、文様染にも大きな技術革新が生まれました。その一つが、型友禅の開発です。これは、染料を混ぜた写し糊を型紙の上から塗って染めるという技法です。型紙を用いることで大幅に手間が省け、低価格で大量に生産することできるようになり、友禅染の大衆化に大きく寄与しました。
 天然染料、手描き友禅の時代には、色彩豊かな絵文様染の衣装を着ることができたのはごく一部の富裕層でしたが、型友禅の開発により、多くの人々の服装が格段に華やかになります。殖産興業政策がもたらした技術革新は、都市生活者の装いを変え、ひいては町の景色を変えていきました。

京都華頂大学教授 馬場まみ

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