京の彩り・染と織

近代の染織③-1900年パリ万国博覧会

2018年05月

 1851年にロンドンで世界最初の万国博覧会が開催され、その後アメリカとヨーロッパ各地で相次いで開かれ、各国の産業革命の成果を展示する場となりました。パリでは、世紀転換期の1900年に、40カ国以上が参加、入場者が5,000万人を超えるという大規模な万博が開かれました。フランスは、工業化・機械化が進む国際情勢のなかで、自国の芸術性の優秀さを世界に向けて発信したいと考え、装飾性豊かで華やかな博覧会を開催しました。
 明治政府は1896年にパリ万博への参加を決定し、博覧会事務局総裁に農商務大臣を任命して準備を進めました。出品物については、「美術工芸品は出品中の精華たり。今や芸術を以て欧米に冠たるの名誉を荷へる巴里に於て、列国の競争に加はらんとするに当り、優秀卓絶の出品なかるへからす」(『千九百年巴里万国博覧会臨時博覧会事務局報告』)と、欧米との競争を想定して美術工芸品作りに力を注ぎました。
 では、出品中の「精華」であり「優秀卓絶」な製品の一つとされた紋織物は、人々の目にどのように映ったのでしょうか。博覧会報告書に以下のような記述がみられます。

 「紋織物に於ては京都西陣の製品を以て最も優なりとするは論を俟たさる所なり。然とも之を他の優勢なる生産国の出品に比するに、西陣の製品美ならさるに非すと雖も其の意匠の単純にして変化に乏しく沈鬱にして華麗の趣を欠くは其の欠点とす。」

 出品された紋織物のなかで西陣の製品が最も優れているのは当然としても、西洋諸国の織物と比較して、意匠が単純で「沈鬱」であることが欠点だと指摘されています。意匠を改善し、華麗な織物を作ることが課題とみなされたのです。
 京都の織物業者は技術面での近代化を積極的に進めてきましたが、デザイン面での課題にも直面していました。万国博覧会は、明治政府や製造業者にとって、西洋諸国のデザインの嗜好や流行を探り、日本の製品の改善点を見出す場ともなっていたのです。

京都華頂大学教授 馬場まみ

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