京の彩り・染と織

室町から桃山時代の染織①-正月の衣装

2016年01月

 

室町時代には、幕府が京都におかれていたこともあり、公家の文化を基盤にして多彩な武家文化が形成されました。室町時代の半ばには、武家がつくりあげた儀礼に関する「故実書」が数多く書かれました。足利将軍家に仕える女房の故実を記した『女房故実』(1593年)には、このような記述がみられます。

正月よりめし物の事

一日あさ こそてそめ物 ひるの御いわゐおり物

二日あさ こそてなににても ひるはおり物

三日あさ こそてなにゝても ひるははくゑ

七日あさ こそてなにゝても ひるはぬい物

十五日あさ こそてなににても ひるはおり物

武家の女性は、公家とは異なり、小袖を儀礼服としても用いました。正月三が日と七日、十五日に着るものを規定していて、朝と昼に異なる小袖を着ています。昼に着用するのは、一日と二日には「おり物」(織物)、三日に「はくゑ」(箔絵)、七日に「ぬい物」(繍物)、そして十五日に「おり物」の小袖です。「箔絵」は、金銀の箔で文様をつける「摺箔(すりはく)」という技法です。また「繍物」は刺繍です。これをみると、織物の小袖が最も正式で格が高く、それに摺箔と刺繍の小袖が続くことがわかります。このように、女房たちは織物の小袖、金銀の摺箔や刺繍、染めで文様をつけた様々な小袖を着用していました。

室町時代から桃山時代に、今日のきものにつながる小袖が華やかに装飾されるようになりました。また中国の明との交易に加えて南蛮貿易も始まり、新奇な染織品が多くもたらされた時期でもあります。

本年のコラムは、西川が創業した室町時代後期から桃山時代に生みだされた華やかな染織文化をみていきます。

京都華頂大学教授 馬場まみ

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