京の彩り・染と織

琳派③-近代の光琳文様

2015年11月

尾形光琳の描く文様は江戸時代の小袖に用いられ、近代にも受け継がれました。女性雑誌の『女鑑(じょかん)』(1908年刊)には「光琳式明治模様」という言葉が使われていて、これは「光琳風を土台として、之に西洋の草花とか、又は絞りといふやうな意匠を凝し」て「明治的に美化したもの」であると書かれています。当時、意匠の分野にも西洋の文化が取り入れられ、工芸家たちは着物の文様も近代的に変化する必要があると考ました。その手法の一つが、江戸時代からある意匠様式に外来の要素を加味して新しいデザインを創造することでした。光琳文様においても、西洋の草花を用いることで近代的な光琳風文様をつくりあげようとしたのです。

さて、近代における琳派の継承者として神坂雪佳(1866-1942年)がよく知られています。雪佳は京都で活躍した美術工芸家で、琳派風の絵画を描くとともに蒔絵をはじめ多くの工芸品のデザインを手がけました。1901年に渡欧し、グラスゴー博覧会を視察し欧州の工芸図案についても広く調査しました。帰国後は第5回内国勧業博覧会(1903年)の審査員をつとめ、出展作品のデザインも考案し受賞しています。さらに、1905(明治38)年から京都市美術工芸学校(現在の京都市立芸術大学)で教鞭をとり、1907年には図案研究団体である「佳美(かび)会」(のちに「佳都美(かつみ)会」)を創設するなど幅広く活躍し、京都の美術工芸界の近代化において指導的な役割を果たしました。

雪佳は、1890(明治23)年に着物の図案集である『別好京染都の面影』を制作しています。20代半ばという若い時に雪佳が描いた着物の意匠です。ここにみられるデザインは琳派風ではありませんが、のちに工芸図案の大家となる雪佳の初期の作品として興味深いものです。

 

『別好京染都の面影』1890

『別好京染都の面影』(国立国会図書館蔵)

 

 

京都華頂大学教授 馬場まみ

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